序 チクタクと刻まれる虚無
カチ、コチ、カチ、コチ。
懐中時計が刻む音が、頭蓋骨の内側で反響する。
Watchは見張り台に立っているのか、立たされているのか、もはや判別できない。手すりを掴む指先の感覚さえ、確かではない。
「I am watching(見ている)」
声に出したのか、思考したのか。境界が溶解している。
海は、ない。 いや、ある。 見えているものが海なのか、海が見えているものなのか。
主体と客体の反転。観察者と被観察者の融解。
「私は誰を watch している?」
三人称の侵入。一人称の「おれ」はどこへ消えた。
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第一楽章 ミリ秒の永遠
瞬きの間に、世界が千回生まれて死ぬ。
まぶたが閉じる0.1秒。その間に何が起きているか。
船が沈む。 仲間が消える。 自分が別人になる。
まぶたが開く。 すべてが元通り。 本当に?
「I blink, therefore I don’t watch(瞬きする、ゆえに見ていない)」
瞬きの瞬間こそ、真実が顔を出す。見ていない瞬間にこそ、世界の本質が立ち現れる。
でも、瞬きを我慢すれば?
涙が溢れる。視界が歪む。 涙で歪んだ世界こそ、真実かもしれない。
「Watching through tears(涙を通して見る)」
塩辛い涙と、塩辛い海。内と外の区別が消失する。
第二楽章 複眼の悪夢
ある朝、Watchは気づいた。
自分が複数の場所から同時に見ていることに。
見張り台からの視点。 甲板からの視点。 海中からの視点。 空からの視点。
「I am watching from everywhere(あらゆる場所から見ている)」
断片化された意識。それぞれが独立して、しかし同時に存在する。
右目が見るものと、左目が見るものが、異なる時間軸に属している。
過去を見る右目。 「I was watching(見ていた)」
未来を見る左目。 「I will be watching(見ているだろう)」
現在はどこ? 両目を閉じた、瞬きの瞬間だけ?
第三楽章 他者の瞳孔
Dreamが近づいてくる。虹色の髪が、可視光線の全スペクトラムを乱反射させる。
「You’re watching me watching you watching me(私を見ているあなたを見ている私を見ている)」
無限ループ。合わせ鏡の中で増殖する視線。
どこが始点? どこが終点?
「Stop watching(見るのをやめて)」
Dreamの要請。でも、できない。見ることをやめる方法を、Watchは知らない。
目を閉じても、まぶたの裏に残像が焼きつく。 顔を背けても、peripheral vision(周辺視野)が捉える。
「I can’t not watch(見ないことができない)」
否定の否定は肯定? それとも、別の何か?
間奏 時計の解体
カチ、コチ、カチ、コチ。
懐中時計を分解する。 歯車、ぜんまい、脱進機。
時間を刻む機械の内臓。
「What am I watching? Time?(何を見ている? 時間?)」
時間は見えない。見えるのは針の動き。 でも針の動きは時間ではない。時間の表象。
表象を見ることは、本質を見ることか?
歯車が一つ、海に落ちる。 時計は止まるが、時間は止まらない。
「Time watches me(時間が私を見ている)」
主客転倒。時間という監視者に、Watchは監視されている。
第四楽章 盲視(ブラインドサイト)
事故が起きた。 いや、起きなかった。 起きることを止めた。
Doが海に落ちる、0.3秒前。 Watchの体が動いていた。
見てから動いたのではない。 見る前に動いた。
「I watched before watching(見る前に見ていた)」
予知? 直感? それとも?
脳の視覚野をバイパスした、原始的な「見る」。 意識に上る前の、純粋な watch。
「身体が見ている」
目だけが視覚器官ではない。 皮膚が光を感じ、 骨が振動を感じ、 血液が磁場を感じる。
全身で watch する時、意識は不要。
第五楽章 量子的観測
「観測することで、現実が確定する」
誰かが言った。 自分が言った?
シュレーディンガーの船。 見るまでは、沈んでいて、同時に浮いている。
Watchが見た瞬間、どちらかに収束する。
「My watching creates reality(おれの観察が現実を創る)」
責任の重さで、膝が震える。 見なければ、すべての可能性が共存できるのに。
でも見ないわけにはいかない。 それが、Watchの呪い。
「I must collapse the wave function(波動関数を収束させねばならない)」
量子力学の詩。 観測者の悲劇。
終楽章 解体された網膜
朝が来た。 本当に朝か?
太陽を watch する。 網膜が焼ける。
「I watched the sun directly(太陽を直視した)」
残像が、永遠に瞳孔に焼きつく。 目を閉じても、太陽がそこにある。
これで、常に光を watch できる。 外界を見る必要がない。
内なる太陽。 内なる watch。
「I am watching myself watching(見ている自分を見ている)」
ウロボロスの視線。 自己を喰らう蛇。
でも、ふと気づく。
仲間たちの笑い声。 波の音。 風の匂い。
「I don’t need to watch everything(すべてを見る必要はない)」
悟り? 諦め? 解放?
カチ、コチ、カチ、コチ。
懐中時計は相変わらず時を刻む。 でも、その音はもう、心地よいリズムに聞こえる。
「I choose to watch(見ることを選ぶ)」
選択。 それが、人間に残された最後の自由。
結 永遠の瞬き
Watchは瞬きをした。
その0.1秒の間に、この物語のすべてがあった。 あるいは、なかった。
瞬きが終わる。 世界は続いている。
「Still watching(まだ見ている)」
それだけで、十分だ。
言葉の彼岸
Watch という動詞の形而上学
観測行為が現実を規定するという量子力学的事実は、”watch”という行為に恐ろしい責任を負わせる。
- To watch is to create(見ることは創造すること)
- Not to watch is to allow all possibilities(見ないことは全可能性を許容すること)
- To be watched is to be fixed(見られることは固定されること)
視覚の専制から逃れる道はあるのか。 あるいは、視覚という牢獄で、我々は永遠に瞬きを繰り返すのか。
Watchの物語は、答えを出さない。 ただ、問いを watch し続ける。
時計の針のように。 確実に、逃れられず、永遠に。