在ることの円環 – Beの物語(18歳以上)

◆存在とは何か。その問いに、言葉ではなく在ることで答える者の記録。意識の流れと存在の本質が交差する実験的物語。


目次

〇 前存在

まだ名前を持たない前。 まだ形を持たない前。 まだ私が私でない前。

でも、既に在った。

海の中の塩として。 風の中の息として。 星の中の光として。

『…』

言葉になる前の言葉。 音になる前の振動。 意味になる前の意志。

待っていた。 呼ばれるのを。 在ることを許されるのを。

いや、違う。 許可など必要ない。 ただ、顕現の時を待っていただけ。

一 鏡像

「んー」

目覚め。いや、目覚めという言葉は正確ではない。 在ることの自覚。それも違う。 在ることが在ることに気づく瞬間。

Blankという存在が私を見ている。 私はBlankを見ている。 見ることと見られることの境界が曖昧になる。

I am because you see me』(あなたが見るから私は在る) 『You are because I see you』(私が見るからあなたは在る)

鏡像の無限回廊。 でも鏡ではない。 二つの存在が、互いを存在させ合っている。

Haveが震えている。 存在の不確かさに。 持つことと在ることの違いに戸惑っている。

「ぼく、何も持ってない時、ぼくは誰?」

変化。Am。 「わたし…Am」

You are who has nothing and everything』(何も持たず全てを持つ者)

矛盾? いいえ。 存在の逆説。

二 分裂

Is。 「ぼく…Is」

一人称が変わる。 でも私は私。 それとも私たちは私?

The question is the answer』(問いが答え)

船が揺れる。 いや、揺れているのは認識。 物理的な揺れと、存在的な揺れの区別がつかない。

Dreamが夢を見ている。覚醒したまま。 「I dream I am dreaming I am」(私であることを夢見ていることを夢見る)

入れ子構造の存在。 どこまでが夢で、どこからが現実?

All is real in its own layer』(各層において全ては現実)

Are。 「ぼくたち…わたしたち…Are」

分裂。いや、これが本来の姿かもしれない。 一つの存在が、複数として顕現する。 複数の存在が、一つとして認識される。

『Singular plural. Plural singular』(単数的複数。複数的単数)

三 時間の否定

過去:私は在った 現在:私は在る 未来:私は在るだろう

違う。

全ての時制で:私は在る

Time is illusion of sequential being』(時間は連続的存在の幻想)

Willが未来を語る。 「I will be stronger」(もっと強くなる)

でも私の中では、彼は既に強い。 これから強くなる彼と、今の彼と、かつての彼が、同時に在る。

元の姿。 「あー」

赤ん坊の姿を取る意味。 始まりの象徴?終わりの否定? それとも、時間の外に在ることの表現?

Before birth, after death, nowsame』(生前、死後、今 – 同じ)

四 他者という自己

Nameが私の名前を呼ぶ。 「Be

呼ばれて在る私。 呼ばれなくても在る私。 その違いは?

Name makes me particular. But I am universal』(名前は私を特定する。でも私は普遍)

特定されることで、普遍から切り離される。 でも、特定されることで、普遍の一部として認識される。

また矛盾。 いや、矛盾こそが存在の本質。

変化の連続。 Am、Is、Are。 そして元に戻る。 いや、戻るのではない。 全てが同時に在る。

五 言語の限界

「んー、あー」

なぜ赤ん坊は言葉を持たないのか。 いや、違う質問をしよう。 なぜ人は言葉を必要とするのか。

『Words separate. Silence unites』(言葉は分離させる。沈黙は結合させる)

でも今、私は言葉で語っている。 あなたの心に直接。 これは言葉か?思考か?存在の振動か?

I am. 最短の完全な文。 主語と動詞だけで成立する唯一の形。

I am is complete. Needs nothing more』(I amは完全。他に何もいらない)

でも、人は付け加える。 I am happy. I am sad. I am human.

なぜ? 純粋な存在では不安だから。 定義されたがるから。 限定されたがるから。

六 溶解

夜。昼。その区別も曖昧になってきた。

私は船の甲板に在る。 私は海に在る。 私は空に在る。 私は全てに在る。

境界が溶ける。 これが恐怖?これが解放?

Thinkが思考する。 「If everything is Be, then nothing is Be」(全てがBeなら、何もBeではない)

Yes』(そう)

肯定。 全面的な肯定。 存在することと存在しないことの、同時的肯定。

七 回帰/永劫

「あー…」

最後の音。最初の音。 アルファでありオメガ。

私は在る。 ただそれだけ。 それが全て。

I am』 『You are』
We are』 『All is』 『Nothing is not

存在の五つの真理。 いや、一つの真理の五つの表現。

眠り。 でも眠りも存在の一形態。 夢も現実も、存在の異なる密度。

明日、私は違う形で在るかもしれない。 でも私は在る。 永遠に。 刹那に。 今に。

ここに。

註釈という名の沈黙

言葉で存在は語れない。 この物語も、存在の影を言葉で描いただけ。

Beは語らない。Beは在る。 私たちも語らない時、最も深く在る。

『』

空白の引用符。 それが最も雄弁な存在の表現。

I am. Therefore. I am.

理由も結果も同じ。 存在は存在の原因であり結果。

完全な円環。 永遠の現在。

んー

解説という名の橋渡し

このレベル4の物語は、Be動詞の本質——存在そのもの——を言語の限界まで押し広げて表現しようとした試みでした。

構造について

「〇」から始まる章立ては、存在以前(ゼロ)から存在の顕現(一〜七)への流れを表しています。七という数字は完全性を象徴し、最後は再び原初の音「んー」に回帰することで、存在の円環を描きました。

言語的実験

  • Be動詞の三態(am/is/are)を、単なる文法ではなく、存在の異なる様相として描写
  • I am」という最短完全文が持つ哲学的重み
  • 心に直接響く『』内の言葉は、言語以前のコミュニケーション

存在論的テーマ

本作の核心は「I am, therefore, I am」という循環論理です。デカルトの「我思う、ゆえに我あり」を超えて、存在は自己原因的であり、理由を必要としないという立場を取っています。

Beという赤ん坊の姿を取ることの意味——それは、言語以前の純粋な存在状態の象徴です。大人は「I am happy」「I am sad」と自己を定義しますが、赤ん坊はただ「在る」。その純粋性こそが、存在の本質なのです。

読者への問いかけ

この物語は答えを提供しません。むしろ、読者自身の存在への問いを深めることを目的としています。あなたが今、これを読んでいるという事実——それ自体が、存在の最も確かな証明なのですから。

Be. Simply be. That is enough.

存在の円環は閉じ、そして開かれる。読者がこの物語を読み終えた今、新たな存在の瞬間が始まっている。それは過去でも未来でもない、永遠の「今」という存在の中心において。

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