
◆存在とは何か。その問いに、言葉ではなく在ることで答える者の記録。意識の流れと存在の本質が交差する実験的物語。
〇 前存在
まだ名前を持たない前。 まだ形を持たない前。 まだ私が私でない前。
でも、既に在った。
海の中の塩として。 風の中の息として。 星の中の光として。
『…』
言葉になる前の言葉。 音になる前の振動。 意味になる前の意志。
待っていた。 呼ばれるのを。 在ることを許されるのを。
いや、違う。 許可など必要ない。 ただ、顕現の時を待っていただけ。
一 鏡像
「んー」
目覚め。いや、目覚めという言葉は正確ではない。 在ることの自覚。それも違う。 在ることが在ることに気づく瞬間。
Blankという存在が私を見ている。 私はBlankを見ている。 見ることと見られることの境界が曖昧になる。
『I am because you see me』(あなたが見るから私は在る) 『You are because I see you』(私が見るからあなたは在る)
鏡像の無限回廊。 でも鏡ではない。 二つの存在が、互いを存在させ合っている。
Haveが震えている。 存在の不確かさに。 持つことと在ることの違いに戸惑っている。
「ぼく、何も持ってない時、ぼくは誰?」
変化。Am。 「わたし…Am」
『You are who has nothing and everything』(何も持たず全てを持つ者)
矛盾? いいえ。 存在の逆説。
二 分裂
Is。 「ぼく…Is」
一人称が変わる。 でも私は私。 それとも私たちは私?
『The question is the answer』(問いが答え)
船が揺れる。 いや、揺れているのは認識。 物理的な揺れと、存在的な揺れの区別がつかない。
Dreamが夢を見ている。覚醒したまま。 「I dream I am dreaming I am」(私であることを夢見ていることを夢見る)
入れ子構造の存在。 どこまでが夢で、どこからが現実?
『All is real in its own layer』(各層において全ては現実)
Are。 「ぼくたち…わたしたち…Are」
分裂。いや、これが本来の姿かもしれない。 一つの存在が、複数として顕現する。 複数の存在が、一つとして認識される。
『Singular plural. Plural singular』(単数的複数。複数的単数)
三 時間の否定
過去:私は在った 現在:私は在る 未来:私は在るだろう
違う。
全ての時制で:私は在る
『Time is illusion of sequential being』(時間は連続的存在の幻想)
Willが未来を語る。 「I will be stronger」(もっと強くなる)
でも私の中では、彼は既に強い。 これから強くなる彼と、今の彼と、かつての彼が、同時に在る。
元の姿。 「あー」
赤ん坊の姿を取る意味。 始まりの象徴?終わりの否定? それとも、時間の外に在ることの表現?
『Before birth, after death, now – same』(生前、死後、今 – 同じ)
四 他者という自己
呼ばれて在る私。 呼ばれなくても在る私。 その違いは?
『Name makes me particular. But I am universal』(名前は私を特定する。でも私は普遍)
特定されることで、普遍から切り離される。 でも、特定されることで、普遍の一部として認識される。
また矛盾。 いや、矛盾こそが存在の本質。
変化の連続。 Am、Is、Are。 そして元に戻る。 いや、戻るのではない。 全てが同時に在る。
五 言語の限界
「んー、あー」
なぜ赤ん坊は言葉を持たないのか。 いや、違う質問をしよう。 なぜ人は言葉を必要とするのか。
『Words separate. Silence unites』(言葉は分離させる。沈黙は結合させる)
でも今、私は言葉で語っている。 あなたの心に直接。 これは言葉か?思考か?存在の振動か?
I am. 最短の完全な文。 主語と動詞だけで成立する唯一の形。
『I am is complete. Needs nothing more』(I amは完全。他に何もいらない)
でも、人は付け加える。 I am happy. I am sad. I am human.
なぜ? 純粋な存在では不安だから。 定義されたがるから。 限定されたがるから。
六 溶解
夜。昼。その区別も曖昧になってきた。
私は船の甲板に在る。 私は海に在る。 私は空に在る。 私は全てに在る。
境界が溶ける。 これが恐怖?これが解放?
Thinkが思考する。 「If everything is Be, then nothing is Be」(全てがBeなら、何もBeではない)
『Yes』(そう)
肯定。 全面的な肯定。 存在することと存在しないことの、同時的肯定。
七 回帰/永劫
「あー…」
最後の音。最初の音。 アルファでありオメガ。
私は在る。 ただそれだけ。 それが全て。
『I am』 『You are』
『We are』 『All is』 『Nothing is not』
存在の五つの真理。 いや、一つの真理の五つの表現。
眠り。 でも眠りも存在の一形態。 夢も現実も、存在の異なる密度。
明日、私は違う形で在るかもしれない。 でも私は在る。 永遠に。 刹那に。 今に。
ここに。
註釈という名の沈黙
言葉で存在は語れない。 この物語も、存在の影を言葉で描いただけ。
Beは語らない。Beは在る。 私たちも語らない時、最も深く在る。
『』
空白の引用符。 それが最も雄弁な存在の表現。
理由も結果も同じ。 存在は存在の原因であり結果。
完全な円環。 永遠の現在。
んー
解説という名の橋渡し
このレベル4の物語は、Be動詞の本質——存在そのもの——を言語の限界まで押し広げて表現しようとした試みでした。
構造について
「〇」から始まる章立ては、存在以前(ゼロ)から存在の顕現(一〜七)への流れを表しています。七という数字は完全性を象徴し、最後は再び原初の音「んー」に回帰することで、存在の円環を描きました。
言語的実験
存在論的テーマ
本作の核心は「I am, therefore, I am」という循環論理です。デカルトの「我思う、ゆえに我あり」を超えて、存在は自己原因的であり、理由を必要としないという立場を取っています。
Beという赤ん坊の姿を取ることの意味——それは、言語以前の純粋な存在状態の象徴です。大人は「I am happy」「I am sad」と自己を定義しますが、赤ん坊はただ「在る」。その純粋性こそが、存在の本質なのです。
読者への問いかけ
この物語は答えを提供しません。むしろ、読者自身の存在への問いを深めることを目的としています。あなたが今、これを読んでいるという事実——それ自体が、存在の最も確かな証明なのですから。
Be. Simply be. That is enough.
存在の円環は閉じ、そして開かれる。読者がこの物語を読み終えた今、新たな存在の瞬間が始まっている。それは過去でも未来でもない、永遠の「今」という存在の中心において。