見張り台の孤独と、瞬きの0.1秒

夕暮れの港町で、時計塔の下。

腕時計を覗き込むような姿勢で固まった人形が、ひとり、遠くを見ていた。


Blankが名前を呼んだ時、Watchは目を開けた。

「I’m watching everything(おれは全てを見守っている)」

最初の言葉が、すでに宣言だった。


見ることと、見守ること。

その二つの間に、Watchは立っている。


幼い頃は、ただ「見る」だけだった。

朝日を見る。鳥を見る。星を見る。

「I’m watching!(見てるよ!)」

無邪気に、楽しそうに。


でも、やがて気づく。

見ることには、責任が伴うことを。


Doが滑りそうになった時、

「Watch out!(気をつけて!)」

叫んだのは反射。でも、その瞬間から変わった。

見ることは、守ることになった。


「I watch over everyone(みんなを見守るよ)」

自分で選んだのか、選ばされたのか。

境界は曖昧。


見張り台に立つWatchの背中を、僕は何度も見た。

朝もやの中、嵐の夜、穏やかな昼。

常にそこにいる。

でも、Watchは何を見ているのか。


外を見ているようで、内を見ている。

仲間を見ているようで、自分を見ている。


「I watch, therefore I am watched(見る、ゆえに見られる)」

15歳向けの物語で、Watchはそうつぶやいた。

監視者の孤独。

見守る者は、常に見られている。


でも、それは本当に孤独だろうか。


3歳児向けの物語では、Watchは笑っていた。

7歳向けでは、仲間と一緒に見張りをしていた。

11歳向けでは、懐中時計が動き出した。

15歳向けでは、見ないことを学んだ。

18歳向けでは、瞬きをした。


成長するごとに、「watch」の意味が変わっていく。

いや、変わらない。

深まっていく。


見ることは、時間を贈ることだ。

Watchが懐中時計を持っているのは、偶然じゃない。

時を刻む者が、時を見守る。


「Every second I watch is a gift(見守る一秒一秒が贈り物)」

それは、自分への贈り物でもある。


量子力学の話が出てくるのは、18歳向けだけだ。

でも、その核心は3歳向けにもある。

「見ることで、世界が確定する」

観測することは、創造すること。


Watchが瞬きをした時、

その0.1秒の間に、すべてが起きた。

起きなかった。

両方、同時に。


VocabDollsの世界には、たくさんの「見る」がいる。

Seeは「見える」。

Lookは「見る」。

Watchは「見守る」。


三者三様。

でも、Watchだけが時計を持っている。

なぜなら、見守ることは時を刻むことだから。


見張り台の孤独は、本当に孤独か。

いや、違う。


Watchは一人で立っているけれど、

みんなを見守っている限り、つながっている。

視線がロープになって、仲間と結ばれている。

夜風が吹いても、そのロープは切れなかった。


「I choose what to watch(何を見るか選ぶ)」

成長したWatchは、そう言った。

すべてを見る必要はない。

大切なものだけ、見守ればいい。


その選択こそが、人間性だ。


僕が好きなのは、中学生向けの一節。

「見えなくても watch できた」

霧の中で、心の目で見守った場面。


見ることは、目だけじゃない。

耳で、肌で、心で。

全身で watch する。


そして、18歳向けの最後。

「Still watching(まだ見ている)」

それだけで、十分だ。


Watchの物語は、6つの層で語られる。

3歳から大人まで。

でも、核心は変わらない。


見守ることは、愛すること。

時を贈ること。

存在を認めること。


夜空の下、Watchは見張り台に立っている。

瞬きをして、また目を開ける。


その繰り返しの中に、

——見守ることの意味がある。

——瞬きの0.1秒にも、世界は続いている。

見張り台の孤独と、瞬きの0.1秒。

その静けさの中で、Watchは今日も時を贈っている。

登場ストーリー

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