深夜の甲板。
Teachの手が止まった。
難民の少女が、虚空を見ている。
声を出さない。
涙も流さない。
ただ、そこにいない目で、何かを見ている。
「I can’t teach her」
Teachが呟いた声は、誰にも聞こえなかった。
市場でTeachは、言葉を通訳した。
「これは『ありがとう』という意味」
船の上では、知識を教えた。
「この結び方を覚えて」
けれど今、Teachの手には何もない。
言葉も、知識も、何も届かない。
それでも、小麦粉を練り始めた。
誰に見せるでもなく。
何を教えるでもなく。
発酵を待つ時間。
窯の火が、ゆっくり燃える。
少女は、まだ虚空を見ている。
三日目の朝。
焼きたてのパンの匂いが、甲板に広がった。
少女の指が、動いた。
生地を捏ねる、小さな真似。
Teachは何も言わなかった。
ただ、生地を少女の前に置いた。
冷たい指先が、温かい生地に触れる。
その時、何かが伝わった。
言葉じゃない何かが。
教えることは、与えることじゃない。
それは、消えない火を灯し続けること。
誰も見ていなくても、パンを焼くこと。
言葉が届かなくても、そばにいること。
市場で言葉を教え、
船で知識を教え、
甲板で何も教えなかった。
三つの場所を経て、Teachは一つの真実に辿り着いた。
——教えられないものを、教える。
——それが、教えるということだ。
