あらすじ:「来る」の究極的意味を探求し、存在と時間の本質に触れるComeの形而上学的物語
序 来ない朝
朝が、来なかった。
正確には、太陽は昇ったが、「朝」という感覚が来なかった。Comeは甲板で、東の空を見つめていた。明るい茶色の髪が、存在しない風に揺れている。
「Morning should come(朝は来るはず)」
つぶやいても、朝は来ない。光はあるのに、朝の実感がない。
「What comes when we say ‘come’?(『来る』と言った時、何が来る?)」
自問する。物理的な移動? 時間の経過? それとも、もっと別の何か?
船は動いているのに、どこにも到達しない。海は同じ場所で回転しているように見える。
「Nothing comes, everything comes(何も来ない、すべてが来る)」
矛盾した言葉が口をつく。
このラインより上のエリアが無料で表示されます。
第一楽章 来る者と来ない者
「Come」
誰かが呼んでいる。振り返ると、そこには誰もいない。
いや、いる。しかし、見えない。
「Who’s coming?(誰が来る?)」
「The one who never comes(決して来ない者)」
声は内側から響いている。自分の声か、他者の声か、判然としない。
ふと気づく。自分は今、ここに「来た」のか? それとも、ずっとここに「いた」のか?
「I come, therefore I am not here(来る、ゆえにここにいない)」 「I am here, therefore I cannot come(ここにいる、ゆえに来られない)」
デカルトをもじった逆説が、頭を巡る。
来ることは、不在を前提とする。すでにいる者は、来ることができない。
第二楽章 時間という川
昼が来た。いや、昼に「なった」。
「Does time come, or do we come to time?(時間が来るのか、我々が時間に来るのか?)」
Comeは哲学書を開いた。ハイデガーの『存在と時間』。
〈現存在は、来たるべきものへと先駆的に存在する〉
「Future comes, or we come to future?(未来が来る、それとも我々が未来へ行く?)」
海を見る。波は来ては去る。Come and go. 永遠の反復。
「Every wave that comes has already gone(来るすべての波は、すでに去っている)」
波の頂点で、来ることと去ることが同時に起きる。
第三楽章 他者という地平
夕暮れ、Nameが現れた。いや、「来た」。
「Did you come, or were you always here?(来たの?それともずっとここにいた?)」
奇妙な問いに、Nameは微笑んだ。
「I come every moment, and leave every moment(毎瞬来て、毎瞬去る)」
二人の間の空間が、伸縮する。近くて遠い、遠くて近い。
「他者は決して完全には来ない」Comeがつぶやいた。「Always coming, never fully here(いつも来つつあり、決して完全にはここにいない)」
「That’s love(それが愛)」Nameが答えた。「The eternal coming towards each other(永遠にお互いに向かって来ること)」
第四楽章 深淵からの呼び声
真夜中、Comeは夢を見た。
深い穴の底から、誰かが呼んでいる。
「Come down(降りて来い)」
降りれば降りるほど、声は遠ざかる。
「Come to the bottom that has no bottom(底なしの底に来い)」
無限降下のパラドックス。来れば来るほど、到達から遠ざかる。
目が覚めた。しかし、夢は続いている。
「Reality comes from dreams, or dreams come from reality?(現実が夢から来る、それとも夢が現実から来る?)」
境界が溶ける。
第五楽章 来たるべき者
朝、いや、朝らしきもの。
Comeは理解した。
「I am not the one who calls ‘come’(ぼくは『来い』と呼ぶ者ではない)」 「I am ‘come’ itself(ぼくは『来る』そのもの)」
存在の様態としての「来る」。
船の仲間たちが集まってきた。いや、もともとそこにいたのかもしれない。
「We are all always coming(我々は皆、常に来つつある)」
Blankが言った。
「Never arriving, always coming(決して到着せず、常に来ている)」
それが生きることの本質。
終楽章 永遠の到来
「Come」
誰かが呼んでいる。それは過去の自分か、未来の自分か。
「I’m coming(行く)」
Comeは答えた。どこへ行くのかは分からない。ただ、行く。来る。
「To come is to be(来ることは在ること)」
明るい茶色の髪が、実在しない風に揺れている。
船は動いている。どこへ向かうのか分からないまま、確実に何かに向かって。
「Everything comes to those who wait(待つ者にすべては来る)」
古いことわざを思い出す。
「But waiting itself is a form of coming(しかし待つこと自体が、来ることの一形態)」
待つことで、我々は未来に向かって来ている。
「Come what may(なるようになれ)」
運命を受け入れる言葉。来るものは来る。
Comeは微笑んだ。
「I am what comes(ぼくは来るもの)」 「I am what is coming(ぼくは来つつあるもの)」 「I am the coming itself(ぼくは来ること自体)」
存在と生成の間で、Comeは永遠に来続ける。
結 来ることの形而上学
日誌にComeは記す。
『来るとは何か。それは存在の根源的な運動。すでにここにあるものは来ることができない。まだここにないものだけが来ることができる。しかし我々は、常にここにいながら、常にここに来つつある。
この矛盾こそが生の本質。
我々は自分自身に向かって永遠に来続ける。決して到達することなく、しかし確実に来ながら。
Come. この単純な単語に、存在のすべての神秘が凝縮されている。
物理的移動を超えて、時間的到来を超えて、存在論的生成を超えて。
来ることは、最も単純で最も複雑な人間の行為。
I come, therefore I am becoming. (来る、ゆえに成りつつある)』
ペンを置いて、Comeは海を見た。
新しい波が来る。古い波が去る。
永遠の「come and go」の中で、我々は生きている。
深く知るCome – 存在論編
- Coming as Being(存在としての到来)
- ハイデガー的な現存在の時間性
- 来たるべきものへの先駆的決意性
- The Paradox of Arrival(到着のパラドックス)
- ゼノンのパラドックスと「来る」
- 無限に分割される到達点
- Come as Becoming(生成としての来る)
- ドゥルーズ的な生成変化
- 固定的存在から流動的生成へ
- The Other Who Comes(来る他者)
- レヴィナスの他者論
- 決して完全には来ない他者への責任
- Eternal Return of Coming(来ることの永劫回帰)
- ニーチェ的な回帰
- 同じでいて異なる「来る」の反復
「Come」は、最も日常的でありながら最も神秘的な言葉。その深淵を覗く時、我々は存在の謎に触れる。