◆自己言及的パラドクスの中で、思考の不可能性を思考し続ける実験的記録
Ⅰ.
僕は考える。 朝、意識が立ち上がる瞬間から、すでに思考は始まっている。いや、夢の中でも僕は考えていたのかもしれない。目覚めと共に忘却される、あの朦朧とした論理の残滓。
「I think I was thinking in my sleep.(眠りの中でも考えていたと思う)」
誰に向けての言葉か。おそらく、僕自身という他者に向けて。
船室の天井に、昨日描いた図式が残っている。思考の構造を可視化しようとした、愚かで美しい試み。円が幾重にも重なり、やがて自己言及的な渦を作り、最後には意味を失って単なる模様となる。
このラインより上のエリアが無料で表示されます。
Ⅱ.
Needが朝食を運んできた。 「必要なものを」と彼は言う。 でも、思考に必要なものとは何だろう。栄養?酸素?それとも、思考する対象そのもの?
「I don’t think I need to eat to think.(考えるために食べる必要はないと思う)」
「でも、食べなければ考えることもできなくなる」
循環。すべては循環している。思考も、存在も、この対話も。
パンを口に運ぶ。咀嚼する間、僕は咀嚼について考えている。メタ認知の無限後退。考えることについて考えることについて考えることについて…
「Think about something else.(他のことを考えろ)」
Needの声が、螺旋を断ち切る。
Ⅲ.
昼、甲板は無人だった。 いや、Beがいた。赤ん坊の姿をした存在の象徴。
「んー…あー…」
言葉以前の音。それでいて、僕の頭に直接響いてくる意味。
『Think… not think… same…』
同じ?考えることと考えないことが?
「I think you’re speaking in paradoxes.(君はパラドクスを語っていると思う)」
Beは微笑んだ。少なくとも、僕にはそう見えた。表情という記号を、微笑みという概念に変換する僕の思考回路が、そう解釈した。
本当に微笑んだのか? それとも、僕が微笑みを見たかっただけなのか?
Ⅳ.
夕刻、鏡の前に立つ。 Level 3で見つけた、あの思考しない自分を映す鏡ではない。普通の鏡だ。
でも、普通の鏡に映る自分は誰だ?
「I think, therefore… what?(我思う、ゆえに…何?)」
デカルトは「我あり」と続けた。でも、その「我」とは何か。思考の主体?それとも、思考そのもの?
鏡の中の自分が、同じように首を傾げる。0.0001秒の遅延。光の速度と、神経伝達の速度と、認識の速度の差異。その間隙に、真の自己が潜んでいるのかもしれない。
Ⅴ.
深夜、ノートに向かう。
『思考について思考することの不可能性について』
タイトルを書いて、ペンが止まる。書くことは思考の外在化だ。でも、外在化した瞬間、それは もう僕の思考ではない。過去の僕の思考の痕跡。
「What do I think I’m doing?(僕は何をしていると思っているのか?)」
書くことで思考を固定しようとしている。流れる川を写真に撮るように。でも、写真に写るのは川ではない。ある瞬間の、水の配置に過ぎない。
それでも書く。書かざるを得ない。思考を共有するために。いや、共有は幻想だ。君が読むのは、僕の思考ではない。君の思考による、僕の言葉の再構築だ。
Ⅵ.
明け方、すべての思索の果てに、単純な真理に辿り着く。
「I think because I think.(僕は考えるから考える)」
トートロジー?そうかもしれない。でも、最も深い真理は往々にしてトートロジーの形を取る。
愛とは愛することであり、 存在とは存在することであり、 思考とは思考することである。
定義の不可能性を受け入れること。それが、perhaps(おそらく)、思考の成熟というものだろう。
「I no longer think I need to understand thinking.(もはや思考を理解する必要はないと思う)」
窓の外、海が白み始めている。 波は考えない。でも、美しい。 僕は考える。それもまた、美しい。
ただ、それだけのことだ。
終章
Blankがドアをノックする。
「Think、朝だよ」
「I was thinking…(考えていたんだ)」
「いつものことだね」
そう、いつものこと。特別ではない、日常。考えることが呼吸のように自然な、僕という存在の日常。
「What do you think we should do today?(今日は何をすべきだと思う?)」
未来へ向かう問い。思考は続く。答えがなくても、いや、答えがないからこそ、beautiful に。
思考の不可能性を抱きしめて、それでも考え続ける。それがThinkという存在の証明。